間が空いた。
あまり構えると更新頻度が鈍るのは毎度のことなので、だらだらと書き進めることにする。
まずはこのことに触れないと先に進めない。
追悼文はいまだなんだか書ける気がしないので、僕が聞いた時からの経緯を書き記しておく。
ひさしぶりにブログを書こうと思って、このブログの開設を準備したその日に訃報が届いた。
その報はメールで届いたが、短い文面であっても衝撃の度合いは大きかった。
頭の芯がグラグラと揺れ、なにか現実離れした状況に置かれた感覚が襲う一方、どこかでそれが紛れもない事実であることを直感し、また奇妙な既視感を覚えるという、どこかふわふわとした浮遊感に満ちた状態に陥った。
すぐに短い返信を送ったが、どうにも落ち着かずにメールをくれた先方にあたふたと電話をかけた。
しかし具体的なその日付以外に詳しい情報はほぼ得られずに、その時点では遺族の意向等もあり事態が公表できる状況にないことも知る。
ただ、同時に講談社に伝えられたことも判っていたので、そちら経由で自然に広がるのを待とうということになったような気がする。
そんなこともあって、しばらくネット上で失語症のような状態に陥った。
いやTwitterでなにかしら呟いてはいたと思う。ただ自分にとってはほぼあまり意味をなさないことばかりだ。言葉が上滑りしているのが自分でわかる。
学生時代からの仲間達にもその時点では殆ど伝えられていなかったのだが、どういう手段で伝えるか迷ううちにタイミングを逸し、やがて『メフィスト』にて追悼記事が載るという報を受け、少し肩の荷が降りた感じになってすべてはその時に委ねることにした。
そして3月30日となり、『メフィスト』発売前の情報からネット上に話が広まり、事実上の公表状態となった。
その反響は予想以上に凄まじく、というか、こんなに人々に愛された作家はこれまでいたのだろうか、と思うほどの悲しみと追悼に満ちた言葉がネット上に溢れるのを目にした。
本人は、殊能将之は、そのことを予期していただろうか。
自分がそこまで愛されていることを。
頭の良い人だし、ある程度の自覚はあったとは思う。
ただ本当の意味で解っていたとは僕は思わない。
それは自分に対してではなく「殊能センセー」に対してだよ、とあなたは云うのだろう。
違う、あなたが愛されていたのだ。
殊能センセーはあなただ、たなみさん。